虐殺器官/伊藤計劃
これはすごい。
9.11後を背景とし、テロとセキュリティ強化のいたちごっこ的世界を舞台としたSF。
表題の意味が徐々に明らかになっていく展開が楽しい。
これ以上はネタバレになってしまうけど
世界の平和のバランスは実際に適度な戦争によって保たれているのは事実かもしれない。
であるならなるべく自分から遠いところをその舞台にしたいというのが罪なのか。。。
僕はこの人の本を今後全てチェックするに違いないと思ったが
亡くなっていて、晴れのち雨。
- 作者: 伊藤計劃
- 出版社/メーカー: 早川書房
- 発売日: 2010/02/10
- メディア: 文庫
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以下抜粋
ぼくは、ことばそのものがイメージとして感じられる。ことばそのものを情景として思い描く。この感覚を他人に説明するのはむつかしい。要するにこれは、僕の現実を感じる感覚がどこに付着しているかという問題だからだ。何をリアルと感じるかは、実は個々の脳によってかなり違う。ローマ人は味と色彩を論じない、という言葉があるのは、そういうわけだ。
僕が言葉を実体としてイメージできるように、「国家」や「民族」という抽象を現実としてイメージできる人々がいる。
人間の感性の違いを言葉によってうまく言い表している。
倫理的ノイズ。確かに戦場において。度を越した倫理道徳の類いは致命傷になりうる。感情とは価値判断のショートカットだ。
いまやここに至り、戦場とは打ち合いの射程が描く円のことではなくなっていた。命に関わる傷や不具に連なる傷を負ってなお、平然と撃ち合うことのできるものたちの間に生まれる関係性そのもののことだった。脳のある状態が描き出す地図のことだった。
敵があって、国家が団結する、という古めかしい話ではなかった。海の向こうに、漠然とした戦場が広がっていること。戦争が、ショッピングモールのBGMのようにサラサラと、どこからか聴こえてくること。二十一世紀のわれわれには、そうした世界の在り方が必要だ。