コミュニティデザイン/山崎亮

コミュニティデザイン―人がつながるしくみをつくる

コミュニティデザイン―人がつながるしくみをつくる

この人が建築家の職能を持って逝ってしまうんじゃないかなどとドキドキしながら読む。建築家とワークショップの話はここ10年ずっとあって、一番振り切ったのが、ユニットをデザインしてその組み方をワークショップで考えようとした邑楽町山本理顕さんだったと思う。当時学生だった僕は、設計の専門家が設計を素人に投げる=自ら職能を否定する、なんてどういうことだと憤慨したものだった。以降、建築家の行うワークショップについて僕はいつも懐疑的なスタンスだったけど、山崎さんの考え方は建築家の職能の否定などではなくて、純粋な職能の細分化だった。

空間のデザインについてのワークショップを進める場合、「どんな空間がいいですか」「何が欲しいですか」とは尋ねないほうがいい。挙がってくるのはどうしてもありきたりな空間のイメージであり、汎用性がなくすぐに陳腐化してしまうような既存のイメージばかりになる。空間のデザインにつては専門家に任せたほうがいい。専門家がデザインのよりどころにするための要素、つまりアクティビティやプログラムを住民から聞き出すことが重要である。住民から挙がってきたアクティビティやプログラムを適切にまとめて専門家に渡せば、専門家はそれを美しく空間に定着させてくれるものである。


建築家をデザインの専門家だとする見方である。
建築家がピッチ上に立ってゲームをコントロールする司令塔、もしくは点を決めるストライカーだとすれば、山崎さんはその選手の使い方を考える監督のような役割だと考えるとわかりやすいかもしれない。

社会の課題を解決するためのデザインについて考えるとき、二つのアプローチがあるような気がする。ひとつは直接課題にアプローチする方法。困っていることをモノのデザインで解決しようとする方法である。例えばアフリカの水道が整備されていない村に対して、手で押して転がすことのできるローラー状のタンクをデザインすること。<中略>これは課題に直接アプローチするデザインだといえよう。
一方、課題を解決するためにコミュニティの力を高めるようなデザインを提供するというアプローチもある。同じくアフリカの村で、こどもたちが回転遊具で遊ぶことによって地下水が上空のタンクに貯められて、蛇口をひねると水が出てくるという仕組みをデザインした例がある。これはこどものコミュニティが集まって遊ぶことを促すデザインであり、これによって水が手に入るようになるという解決方法である。


直接的でないデザインのあり方はとても素晴らしい。
人を介在させることによって機能するデザインのあり方が出来て、その運用方法さえ提示できれば、建築家はまだまだ社会にコミットできる。
そんな元気をもらう一冊。