言語で理解しない方法

トリオジャズを聴きながら、この楽しさは決して言語では説明ができない=左脳で理解できないものだと思う。建築家でもそうだけど、おそらくちょっと昔の世代(特に80年代)は今ほど言葉で説明していなかったはずなのだ。さもなければポストモダニズムを一般のお施主さんに対しどう説明がつくだろうか。もうちょっと感覚で=右脳で訴えていたはず、である。


しかし現代はすっかり言語が発達して、いろいろなことに説明を求められるようになっていしまって、人々は見たもの聞いたものを言語に置き換えて理解しないと気がすまないようになってしまった。


しかしこのジャズの誰かが枠組みから外れてオーバードライブし始める感じというのは、左脳での理解を超越している。このことから飛躍して言うと言語が発達するとジャズは廃れる、とさえ言える。


ジャズが廃れていく一方で、建築はギリギリ言語を駆使してデザインを対応させてきた。しかし、聞く相手は左脳で受け取っているので、右脳も駆使して新しい建築の可能性を探ろうとする従来の建築家のには限界が見えつつある。


最近twitter上で知り合った人で言葉をやり取りする代わりに、今の気分を音楽で伝え合うということに成功し始めて、その共感力たるやなかなか面白いものがある。膨大なアーカイブの中からこんな感じじゃない?って音楽を媒介として伝え合うのだ。言語を超えた右脳的なコミュニケーション方法というのには可能性がある、と僕は思っている。