規制するのではなくコミュニケーションを豊かにすること

crz_joe2012-07-20

最近街中自転車で走ってて、何かを違反してるわけじゃないのに萎縮しちゃう。過度な規制というのは伸びやかな社会の可能性を摘み取るだけだ。
車には対自転車用のクラクションをつけて、コミュニケーション能力をあげるべき。今の対車用の音量は癪に障る。車と自転車のコミュニケーションがもっと円滑になるよう法律を制定するのが政治の役割。今のやり方は警察が儲かるだけ。ひどくナンセンス。


女性専用車両というのも同じだ。痴漢をなくすために女性を囲い込んでコミュニケーションを遮断しようとする。結局のところ痴漢だって通り魔だっていじめだってコミュニケーションの不和が原因なのに、それを遮断しようなんてもってのほか。


先日、地下鉄に乗ったらつけっぱなしだったのか名札をつけっぱなしの初老の女性がいた。名前が分かるだけで話しかけたくなるというのが人間の心理である。そこでふと思う。コミュニケーション専用車両というのがあればいいのではないかと。みな名刺か何かを胸につけて名前がわかるようにしておく。電車で携帯からtwitterやFBみたいなヴァーチャルを介したコミュニケーションに没頭する代わりに、となりにいる人に話しかけてみる。降りる駅が一緒なら飲みに誘ってみる。お尻が触りたかったら誘った飲みの席で、本当に素敵ですね、ちょっとだけ触ってもいいですかとお願いしてみる。
社会に必要なのはコミュニケーションを起こさせる仕掛けなのだ。