定年ゴジラ/重松清

定年ゴジラ (講談社文庫)
思わずひいてしまうようなタイトルだが、東京郊外のニュータウン(以下NT)を若いときに購入し、定年を迎えたが特にこれといって趣味もない仕事一筋のモ ダン世代4人の老後生活と、バブルがはじけて大して発展しなかった我が町の様子を巧みに描いた作品である。面白いのは4人のうちの1人がそのNTの計画を 実際に手がけた人物であることだが、特に話の終盤に出てくる大学教授によるNT批判雑誌のための調査と、これに対する住民のやり取りは非常に興味深い。
重松清はNT批判を「ジャンケンの後出し」と同じだと、物語中のNTの元計画者に代弁させる。それは絶対に勝てないようにできているのだと。こう続く。ど このNTでも開発時にはベストを尽くしているのだが、それはあくまで開発の時点の社会状況や価値観に基づいたベストであったのだ、と。
更に持ち家信仰だとかNT神話とか高度経済成長とかいう言葉に対して吐き捨てるように言う。「信仰でも神話でも幻想でも、つまりは夢だ。夢があったからこそ、がんばれた。夢を追い求めるだけでなく、多分そこにすがりつかなければ乗り切れないことだって、あった。」
批判をするのは簡単なことだ。僕も4年間NTのど真ん中にある大学に通っていたから色々と思うことがある。しかし批判をする時には忘れていることだが、そ こにはたくさんの人がいて同じ数だけ家庭に対する夢があったのだ。そして、モダンだろうがポストモダンだろうが家庭に対する夢って絶対的に普遍的にある。 これはポストモダンに対する批判としてのポピュリズムなんだと思った。宮台真司みたいに人間を単なる社会現象として軽視しすぎている人間はきっといずれ過 去の人になる。僕らはもっと人間ひとりひとりとしてのスケールに帰着するべきだ。

本がクライマックスに差し掛かったときに隣に座っている女子大生風の女が地下鉄内にも関わらず携帯で話し始めた。「うっとおしいな。」と思っていると、「もしもし?お父さん、明日仕事休み?」という声が聞こえてきた。許せると思った。