都立大卒業設計クリティーク

クリ(クリティーク)する人がSPEED STUDIOの西田さんとコバ研の助手の木下さんと深尾研助手の門脇さんと僕しかいなかったというのも言いたい放題で面白かったが、される側も自分たちの苦悩をもっと知らしめたいというモチベーションがあってよかったと言うのが今日の卒業設計座談会の印象。そして今日はじめて都立大の設計教育がどこがまずかったか分かった。端的に言うと設計を説明するための視点が圧倒的に少ないのだ。みんな揃って社会的な建築プログラムのあり方から話をはじめてしまう。発電所が都市生活のダークサイドに追いやられているので引っ張り出してきました、新宿雑居ビルの避難経路が不足しているからその裏に避難経路としての空間をつくりました、挙句の果てには寺院建築の威圧的な佇まいに将来性を感じないので商業施設を対峙させました、みたいな。同じ物を全く別の視点から説明できてその方が面白いということに誰も気づいていないでやっぱりプログラムの話をしてしまう。違うと思った。それは例えば機械室配置の理論から設計を考えたとか、自転車のスピードによる見え方と歩行者のスピードによる見え方で建築デザインがどう変わるかを考えたとか、象徴的な建築のファサードをアイコンとして切り出して内部空間化することを考えたとか言ってもいい。そう説明すれば、その背景にプログラムの問題も裏づけされている面白い卒業設計に見えてくるのに。社会に対して無責任でない設計に。関係ないけどそれは今の僕の中の建築に対する「誠実」さであってうちの先生の言うところのそれとかなり違う。大事にしたいです。


僕は母校でいつか設計教育をしたいと思いました。


ダメ?


ところで都心に高層マンションがどんどん建っているのはまだ分かるとして、久々に郊外に行ったらそこでも集合住宅がまたバンバンつくられていた。街としての寿命がどれくらい持つと思ってつくってるのか。


考えたい。