サウナ→カルチャショック

更衣室からして男女の別がないというのは日本人にしてみたら全く理解の出来ないことだけれどサウナに行ってみて本当にみんな丸出しなのにはさすがにちょっと引いた。あそこまであっけらかんとしているとこっちもこみ上げてくるモノがなくて僕は膝を立てて寝ている女性の足元に座りながらドイツ人のエロ本というのはどうなっているのだろうと思いを巡らした。しかし裸に興味がないということを前提にするとチラリズムだろうが絡み描写だろうがどんな状況にもグッと来るモノがないということになり、ドイツにはマスターベーションが存在しないという構図が正しい。そういえばあれだけセクハラ大王だのドスケベ仙人だの有り難い呼び名を頂いていた僕ですらこっちに来てからは性欲を感じることが殆どない。たかだか服を着ているかかなり薄着か全く着てないかの違いに一喜一憂する必要などどこにもなかったのだ。そうした状況の違いというのは場所や時間を根拠にレイアウトされていたようだったけど実はかなりランダムにレイアウトされていても良くてそうすれば無駄に全く着ていない状況を期待しなくて良くて僕たちは自由になり、むかつくほどの出会い系サイトからのメールがテレビの臨時ニュースのテロップや新聞の折り込み広告や電車の反対側のドアが開きますの代わりになって日常の一部に擦り込まれて消えていくのだ。歌舞伎町のイメクラとテレクラの間に魚市場と日本銀行ができて生臭い新千円札を増刷している間にテレクラに真珠のネックレスの通信販売の電話が殺到するようになるのだ。そうして僕らは男の乳首と女の乳首の差を忘れ鶯谷のラブホテルの一室を借りて朝立ちもなく暮らすことができるようになるのだ。