フェルメール展@東京都美術館
金曜と土曜は20時までやっているというその時間を狙って見る。
17世紀オランダ、デルフトの巨匠。
すごい有名な画が来ているという訳ではないけれど、26枚しか残されていないという絵画のうちの7点と、その前後の時代の作家の作品が一堂に会する。
30年も生きてきてドイツにも1年住んでいたのに、フェルメールに打ちのめされる体験にこの歳までかかってしまったのか。
というぐらいに衝撃的な体験。
僕の中で絵画史というのは勝手に写真技術が発達して写実主義から印象派に取って代わる19世紀を近代化として捉えているところがあり、前近代と認識しているそれ以前の絵画を博物館的と軽視してきた節があって、それをすごく反省させられる。
写真家が風景を切り取ってきたかのような完璧な構図。
色の明暗濃淡によって完璧に表現された光と空間の奥行き。
話はずれるけど僕がとにかく目を惹かれたのが
額。
すごい人出で遠目から絵を見なければいけなかったというのもあるけど
とにかく画ごとに異なる額がものすごくよい。
絵の中にある17世紀の世界を額がその画の外側の僕らのいるところまで引っ張ってくる感覚。すごく面白い。
閑話休題。
最後に画の中に書かれた実際の風景の写真があって、それと比較すると、透視図法に特化したオランダ絵画が実は全然真実を描いていない、写実的でないことに気づく。
つまり画の中の世界の方が奥行きがあって美しい構図を持っている。
書き手の視点のバイアスがすごいかかっているのだ。
脳はかなりいい加減に物事を解釈する。大概それは良いように解釈される。
現実に忠実に書いたつもりでも実際にはそれより良いように描かれている。
そのことに気づくとき僕はハッとさせられた。
今からもう一度世界中の美術館を回ってくる必要すらある。と。
世界は一様に存在しない。
このことを前提にすると世界の見え方は大きく変化する。
たとえば同業者にではなくユーザーに建築がどう見えるか。
それを良く分かっている建築家と全然分かっていない建築家がいて
一長一短ではあるけれど両者の仕事量にはものすごく分かりやすい差がついている。
ということを最近は痛感させられる。