理数系的建築設計論

crz_joe2009-04-19

延面積で15万?くらいあった海外のプロジェクトのマスタープランを無事にアップ。
これだけ大きい規模の設計はもちろん初めてだったけど
規模が大きくなればなるほど、僕にとって設計は微分積分みたいになっていく。


建築の設計は大きなスケールでのスタディから入って最終的に1/1にたどり着くまで
徐々に詳細を書くようにスケールアップ(微分)していくのが普通で
ただ同時に逆に1/1のディテールから建築の全体をつくっていくような積分の作業もあって
もちろんスケールごとに何の関係も持たないようなつくり方というのも可能なのだろうけど
僕はカオスが苦手な上、割と処理能力の高い方なので
常にこれを微分していくとどういうことになるかを3次くらいまで先を見越して
高次方程式を組んでは解きほぐすように設計を進めていく。
その中でスケールをあげていくと時折一旦もっと大きいスケールに立ち戻った方がいい状況、つまり積分的な作業も発生する。
これを別の言い方で言うと設計におけるフィードバックというのだと思う。


この一連の作業が最近恐ろしく速くなってきた。
かなり先の次元でどういう問題が起こりうるか想定できるようになったからだと思う。
支えているのは経験値だ。


しかしそうなると僕は進んで楽ができない性質なのか、
最近は最初のスタートがかなり複雑な方程式になってきている。


まだ見たことないような複雑な方程式を前にして
(具体的に言えばたとえば平面図を書くのに先に断面図やCGが必要になるような設計)
どう微分するとスムースに設計が進むのかを検証する。
それを明らかにするにはどういうパラメータの入れ方をすればうまくいくのかを
何度もパラメータを変えて検証し考察する、しかない。


初めてとりかかる方程式に対しては、どのパラメータの組み合わせがうまくいくのかはもう自分の体で覚えていくしかない作業であり、
ボリュームスタディ動線スタディをしながら、
実際には次の微分方法を検証するためのスタディ
言い換えればその設計がもつシステムの運用方法を体に覚えさせていくようなスタディというのが存在している。
まさにその作業を僕は設計と呼ぶのだと思って
こればかりはコンピュータがいくら発達した所で人間による処理が必要なところだと思う。


それはなぜかといえばパラメータによって確定する要素よりも
パラメータを入れたところで依然として曖昧で
次のパラメータの入れ方によってはまったく価値が逆転してしまうような要素が多いからなんだと思う。


これを回避するには考えうる全ての可能性の組み合わせについてスタディ案をつくるか(確実に不可能だが)、あるいは文系的なストーリーを捏造するしかない。
だから実際には僕もあちこちの分岐点で手結局はそういう文系的ストーリーを見つけては選択している。
その点、藤村さんの「超線型」なんかは捏造された文系的ストーリーの最たる例だと僕の目には写る。


つまりある程度しっかり順序だててちゃんとボリュームスタディからはじめて最終的に素材の取り合いを決める所までたどり着くような、
ある意味極めて理数系的な手順に則った設計をしていたとしても
それを微分していく上でじゃあどうしてそういう風に決めたのかという方法論を問うのは
極めて無意味なことなんじゃないかと最近は改めて思うようになった。


理数系的な設計は方法としてあるし、毎日ちゃんと数学やっててよかったと思うような日々だけど、厳密な意味では方法論にはなり得ない。
という結論にたどりついた今日この頃。