砂漠/伊坂幸太郎

砂漠 (Jノベル・コレクション)

砂漠 (Jノベル・コレクション)

伊坂さんの本で面白い作品と言われれば「オーデュボンの祈り」か「ラッシュライフ」を挙げるけど
いい作品と言われればこの「砂漠」を挙げたい。


僕はについて言えば、かなり似たような学生生活だったような気がする。腕を失った友達もモデルみたいな女友達もいなかったが、適当に世界平和を嘆くくらいの友達はいて、適度に授業に出てマメに単位を取りながらあとは中国語と確率の勉強。
そうして自分には何かできると思いながら何もできない自分に身悶えていた。っていう気がするw


「人間とは自分と関係ないことにくよくよすることですよ」
と西嶋が言う。
確かにそうやってくよくよしながら麻雀に明け暮れていたあの時間に学ぶべきものがあったのかもしれないとこれを読んで思った。むしろあの時間に人生の本質が全てあったような気すらしてくる。


人間は近視と鳥瞰の2タイプに分かれるのだと鳥井は言っていて、僕の大学生の頃を思うと完全に鳥瞰型だったw
近視型は目の前のことが楽しければ満足し、鳥瞰型は上から見下ろしてもっと遠くを見ようとして目先のことに喜んだり悲しんだりしているのなんかくだらないと思っているタイプ。


今も仕事をしているとき、こうして脳内を整理しているときは非常に鳥瞰型だけど、まあそれはひとつの仕事や覚えておきたいことを仕事や記憶のネットワークにいかにうまく絡ませられるかという話だから、まあ別の話として、何かにつけ最近はものすごく近視的な気がする。近視的なものにしか興味がないとも思うし、ようやく自分の視野の範囲を自分で確認できるようになったからだとも思う。実際に視力もずいぶん悪くなった。


建築の設計で言うと社会的でないことこそ建築家の社会的意義だとすら思うようになった。って飛躍しながらかいつまんで言っても誰も分からないかw

「たとえばね。手負いの鹿が目の前にいるとしますよね。で、腹を空かせたチーターが現れますよね。襲われそうですよね。実際、この間観たテレビ番組でやってましたけどね、その時にその場にいた女性アナウンサーが、涙を浮かべてこう言ったんですよ。『これが野生の厳しさですね。助けたいけれど、それは野生のルールを破ることになっちゃいますから』なんてね。
助けりゃいいんですよ、そんなの。何様なんですか、野生の何を知ってるんですか。言い訳ですよ言い訳。自分が襲われたら、拳銃使ってでも、チーターを殺すくせに、鹿は見殺しですよ」
東堂が言った。「でも、チーターと鹿のどっちを救うべきか、っていうのは難しい問題だよね。」
西嶋は少し悩んだ上で、「それはその時、可哀想に見えた方ですよ。」と答える。
「主観的じゃないか」僕が笑うと
「残念ながら、俺を動かしているのは俺の主観ですよ」と開き直りとも屁理屈ともつかない答えが返ってきた。


つまりそういうことじゃないかとw

「たぶんね、頭の良い人の陥りやすい罠ってあると思うんだけど、賢くて偉そうな人に限って、物事を要約したがるんだよ。
たとえば、映画を観ても、この映画のテーマは煮干しである、とかね、何でも要約しちゃうの。みんな一緒くたにして、本質を見抜こうとしちゃうわけ。実際は本質なんてさ、みんなばらばらで、ケースバイケースだと思うのに、要約して、分類したがる。そうすると自分の賢いことをアピールできるから、かも。」


ぐさり。この外部記憶も昔はそうやっていろいろなものを型にはめて社会を解釈しようとする鳥瞰型であったけど、いつからか自分がどう思ったかという近視的な部分を脳内で鳥瞰して収納するというシステムになっていった気がする。


そういえば脳内構造として男子は鳥瞰的で女子は近視的だという気がする。
地図が読めないってのはそういうことなんだろ。