単純な脳 複雑な私 / 池谷裕二

単純な脳、複雑な「私」
池谷さんはこれで3冊目。
脳の都合の良い構造を知るのはとても楽しい。


僕らがいかに都合よく背景に流されやすいかというのがよくわかる。
ひとつすごく面白い実験例があって
単純作業をさせて片方のグループには時給2000円、もう片方には100円を支払うと、驚くことに時給100円の方が作業が面白かったと答える割合が多いのだという。
お金がよくないので作業が面白いと思わないと割が合わないからだ。


厳密な意味でいうと「いい」ものはつくることはできない。
できるのは多くのヒトが「いい」と思えるものでしかない。
そうしたときにその背景をきちんとデザインすることが
何より重要になってくる。
背景がしっかりとあってそのコントラストが強いときに
僕らはそこにある奥行きを感知して「いい!」と思うのだ。

以下引用

記憶の役目は「時間の流れ」をつくること(中略)
記憶をつくる場所である海馬を摘出した患者さんに「今いつですか」と聞くと決まって海馬を摘出した1953年と答える。


経験したものを脳に貯えられるのは、可塑性の恩恵にほかならない。自分はどんな世界で生まれたか、どんな環境で育ったか、どんな経験をしたか、これらはすべて可塑性を備えた脳回路に貯えられる。(中略)僕らの知覚している「世界」の多くは、脳の可塑性を通じて、後天的に形成されたものなんだ。


数少ない単純なルールに従って、同じプロセスを何度も何度も繰り返すことで、本来は想定していなかったような新しい性質を獲得する。これを「創発」という。(中略)こうした創発を促すパワーになっているのが、ノイズだ。


「有限」を知っているというメタ認識こそが、ヒトをヒトたらしめている。(中略)リカージョンができるから、「私は今ここにいる、でも、その私って何だろう」と、もう一段階深い<私>へと入り込んでいくことができる。


ワーキングメモリには決定的な性質があって、それは、同時に処理できる情報量が限られているってこと(中略)僕らが平行処理できることは7個まで。


好きか嫌いかで絶対忘れてはいけないルールは何度も見かけたものは好きになりがちということ。