仮住まいとしての東京の未来

今回の地震でみんな海外や実家に帰ったりして休みになっても、事務所に僕が残ったのは、仕事のせいもあるけど、他に逃げる場所がなかったせいもある。
つまり勿論、昔からの東京人もいるんだけど、多くの人が東京を仮住まいとしてしか捉えてないことになる。地震は東京の本質を明らかにした気がする。


今、コミュニティの復興が社会を支える数少ない可能性なのだとして、仮住まいにコミュニティは育ち得るかという議論はあるはず。
そこでもう一度考えたいのは、農村型コミュニティと都市型コミュニティの話。簡単に言うと、農村型というのは囲い込むオフ会的なコミュニティで、都市型は常に開く欧米のパーティー文化的なコミュニティ。日本はずっと農村型だったと言える。(広井良典さん著者参照)


そして農村型コミュニティにおいては、まずその場所に途中や家を所有することがコミュニティの前提になっていたと思う。
僕がtwitterをいろんな人に勧めているのは、都市型のコミュニケーションスタイルを一般化させることで、仮住まいである東京にもコミュニティが復興できるのではないかと思うから。


町内会なのか商店街なのか単位は分からないけど、そういう団体がHPを持ったり、tweetしたりする発信力が求められる気がしている。
町内会に首を突っ込んで、縮退する街づくりを扇動する建築家の在り方があり得るだろうか。
確かにそれは前時代的な建築家に対するアンチテーゼになるかもしれないが、同時に建築家が認められていない社会では、建築家という職能を否定する作業にもなりそう。