観光地と多様性について

crz_joe2011-05-14

ロンドン。まともに街にでた。人々を見ていて多様性が前提になっているのを強く感じる。地下鉄に乗ればアフリカ系欧米系アジア系中東系がものすごい比率で入り乱れてる。一目見てこれだけいろいろな人種が共存しているというのは国や都市によって程度差こそあるけど欧米ではあたりまえ。ひさしぶりの感覚。そしてこの多様さの成立にはロンドンがしっかりとした観光地となっていることが一役買っている。


ヨーロッパに来ると陽気になる自分に気づく。それはきっと言葉が完璧でない中でどう暮らすかを考えた処世術なんだろうけど、同時に基本的に変わっていると言われる自分の人格を押し殺す必要がないからでもある気がする。


一方で日本に目を向けると、地震の影響もあって今、人間の多様性を認める方向から逆行してどんどん同質化しようとしている気がするのが気になる。


EUを見渡しても、もういい加減得体のしれない移民が入ってきちゃう状況にうんざりしている感じがあって、社会を開くことによって多様性を受け入れる時代から、もう一度閉じて自分たちを見つめ直そうとする時代に移ってきている感じがある。


デザインの世界を見渡しても、多様性がネット上に溢れることによって、世界中どこでもその多様性を共有できるみたいな多様性の均質さみたいなものが生まれているのを強く感じる。
僕自身のデザインに対する興味も今かなり日本のローカリティーにシフトしている感じがある。
勿論ローカリティーを受け入れることが多様性につながるんだけど、そこで日本語の壁がつくる障壁はかなり大きいのだと気づく。世界と共有できない言語がベースだと、ローカリティーに根付く思考は完全にガラパゴス化しちゃうわけ。


ヨーロッパに来るといつも思うのは、まず日本はもっと観光に力を入れるべきだということ。それによって人間の多様さに慣れて、言葉の国際化も進んで、初めてこの国は世界に開かれるのになと思う。