寛容性について


長崎出張から帰ってきた嫁が、向こうでは割と大きい交差点でも信号がなくて、その分車が歩行者に対して優しい寛容さがあったと言っていてなるほどこれはと思った。
3.11直後の社会の不便さとそれに対する人々の寛容さについて、もうみんなすっかり忘れてしまっているけど、あの中には何かあったはずなのだ。


つまるところ、時間を金で買うというシステムこそが、この社会を生きにくくしたと思う。
そういうシステムから逃れたいと思っている人は結構いて、わざわざ金を払って田舎に稲刈りに行く人なんかはその最たる例だ思った。不便さに対して経済価値がついているというのは結構面白い。
現在の社会システムからすると、不便さに投資するなんてアートにしかならないけど、少しずつ経済活動につなげていくことで、市場原理主義にしがみつきたい 人たちをも、寛容な未来の社会に導くことができるかもしれなくて、そうすると世界は分断されないのではないかとふと思った。