スタジオムンバイ展@ギャラリー間


最終日だったので腰にコルセットぐるぐる巻きにしてスタジオムンバイ展行ってからの、近代美術館の夏の家見てきました。ギャラ間。最終日で人がものすごい多かったのもあって、あれほどインドを感じられる展覧会はなかった。マサラっぽい匂いが立ち込めたら最高だった。
インドは格差がすっごいから面白いところがいっぱいあるけど、日本と比べてどう違うのかって考えたときに、非等価交換みたいなのが成立してるところなんだと思った。同じレストランに入っても外国人と地元住民じゃ同じ料理に払う金額が違ってて当たり前の社会。
一方で、科学的な正しさを前提にした等価交換が根底ないからなのか、模型とか夏の家を見てても、普通に考えたら梁が通りそうなところになかったりして、ピラミッド的な構造をそこに感じられないというところが非常に面白かった。
今社会が抱えている問題というのは、市場原理主義(等価交換)をこれまでそれ以外の力が働いていた教育とか報道とか医療とかにまであてはめてみた結果応じ た不具合に対して、じゃあどうしよう?っていうことだと僕は思っていて、こういう等価交換だと成り立たないシステムに触れると皆ドキドキする。

日本の大転換/中沢新一

日本の大転換 (集英社新書)

日本の大転換 (集英社新書)

最近八百屋がたまらなく好きな僕だが、中沢新一さんの本読んでたらその理由が分かった。


世の中には基本的に等価交換と贈与があって、グローバル資本主義や二十世紀的建築というのは等価交換を前提にできあがってきた。一方で生体圏は太陽エネルギーの贈与によって成り立っている。


3.11によって等価交換による社会が贈与による生体圏と相容れないことが露呈してしまった。だから自然の贈与をベースとした社会への転換が今後必要なのだというのが趣旨。


とはいえ、そう簡単に等価交換から脱するのは難しいことは皆わかっている。仮に八百屋に行ったとしても、もちろん僕は紙幣という抽象化されたものと交換して野菜を買う。しかし、太陽の贈与からの距離が、体感としてとても近いのだ。


だから等価交換=資本主義経済はなくならなくても、贈与との距離を縮める方向に社会は変わっていくと思う。たとえばご飯を食べるのに、よくわからない場所代や人件費を搾取されるのではなく、自分で野菜を買って調理してという生活にシフトしていくと思う。


最近建築界でもセルフビルドが増えてきているけど、これも同じロジックで見れる。ひとつの素材を現場に入れるのに商社がいて下請けの施工業者がいて工務店 がいてその間に不透明な手数料がかかっていることに対する不信感。そしてITというのは生産者と現場をダイレクトに結びつけやすいツール。


このこれからは等価交換から贈与に基づく社会へ近づくというロジックだと、いわゆる商社がまず滅びる。
人件費に対する等価交換を贈与に変えることでコミュニティを生み出すような社会構造というのはありえるかもしれない。レストランではなく食材店にダイニングキッチンが併設されているみたいなプログラムはあるんじゃないかと思う。


週に一度会社で社員全員でBBQをやる浜松の建設会社というのが最近注目されているらしいけど、これは既にシフトし始めているということだと思う。 http://t.co/vmmYq7p0

寛容性について


長崎出張から帰ってきた嫁が、向こうでは割と大きい交差点でも信号がなくて、その分車が歩行者に対して優しい寛容さがあったと言っていてなるほどこれはと思った。
3.11直後の社会の不便さとそれに対する人々の寛容さについて、もうみんなすっかり忘れてしまっているけど、あの中には何かあったはずなのだ。


つまるところ、時間を金で買うというシステムこそが、この社会を生きにくくしたと思う。
そういうシステムから逃れたいと思っている人は結構いて、わざわざ金を払って田舎に稲刈りに行く人なんかはその最たる例だ思った。不便さに対して経済価値がついているというのは結構面白い。
現在の社会システムからすると、不便さに投資するなんてアートにしかならないけど、少しずつ経済活動につなげていくことで、市場原理主義にしがみつきたい 人たちをも、寛容な未来の社会に導くことができるかもしれなくて、そうすると世界は分断されないのではないかとふと思った。

思考停止をデザインせよ

このまえどうにもならないときに思考停止したくなるという生理現象についてつぶやいたんだけど、その後つぶやきたかったことをちょっと整理してみる。これは10年以上前から、面白いと感覚的に感じたものが、どう面白いのかを言葉で説明しようと積み重ねてきた僕の所業のひとつのまとめでもある。


そういう所業の結論として、以前世界の捉え方には、正しいか(左脳的)、楽しいか(右脳的)、カワイイ/エロ(思考停止)しかないのではないかと書いた。同時になぜか思考停止が経済に結びついてるとも言った。


基本的にこれまで僕は思考停止を「悪」だと思っていて、某アイドルプロデューサーとか完全に政府から国民を思考停止させるために派遣されたエージェントじゃないかと思っていたのだが、そうじゃないんだとふと気づいた。自分の中にいかに思考停止をデザインするかが大事なのだ。


建築の設計などは思考停止の連続である。すべてのことを同時に考えようとすると、建築の設計というのはもう非常に複雑で混みいっている。なので僕らは段階的に考えて、考え終わったら思考停止し、次のステップに進む。プロセス論というのはまさにこのことだ。思考停止の方法論と言い換えてもいい。


設計していく上で、何をもって自分が思考停止状態に入るかというのを、ちゃんと自覚している人は、場当たり的な設計にならないだろうし、自分の設計を方法論として語れるはずだ。そしてこれは建築の設計にだけとどまらず、どこで思考停止しているかを考えると自分の生き方というのはよく見えてくる。


たとえば、(思考停止を悪だと思っていないということを前提に聞いて欲しいのだけど)脱原発だといってデモに参加する人の多くはそこで思考停止を起こしている。思考停止しないと複雑な状況を悶々と考えて、心の平穏を保てなくなるから、これはこれですごく正しい思考停止のデザイン。


もうちょっと言うと即座の原発停止を求めていない人というのは、そもそも確率的に高い余震が起きて福島がもう一度波に飲まれれば東日本は終わりなのだから、これまで同様に地震が起こるという可能性には思考停止して、一旦ちゃんと経済を回して対策を講じようという人たちだと言える。


閑話休題。たとえば大きな設計事務所に勤めていれば、建築と経済のあり方については思考停止できて、その分設計に打ち込めるとも言えるし、独立すれば、どう建築が社会に成立して経済活動になるのかについて当然考えないといけなくなるが、組織の中の政治的な状況などからは思考停止できる。


建築が今後社会の中で余っていくことを前提にすれば、建築の成立について思考停止できないと思うのは必然だが、移民の受け入れとか東京じゃなく地方に需要が出るだろうとか地震のこととかを考えれば、まだまだ需要があるだろうという思考停止もまたあり得る。


何に思考停止して、何を考えたいのか、自分に問うてみると、そこに自分のライフスタイルや設計思想が見えてくる。おそらく思考停止は基本的に生理現象として避けられないことで、思考停止をもう一度思考すると、生き延びるためのアイディアがたくさん詰まっているはず、ってなんか茂木さんみたいだな(終)。

上田〜軽井沢

蚕都上田市。製糸場の繭庫 http://t.co/luqtPHhq
製糸場。木造の庇空間が楽しい。 http://t.co/M84QmbIz
上田市サマーウォーズのモチーフともなった城趾。あの夏で待ってる小諸市と言い、アニメ押しすごい http://t.co/Lk453TYR

野沢温泉〜菅平

野沢温泉。常に温泉が斜面を流れ落ちていく音が心地よい。そしてこういう公衆の湯屋があちこちにある http://t.co/w0ZfRApp
自転車はさすがに厳しい。ノンヘル原付のおばちゃんが走り回ってた。 http://t.co/d951uSBD
宮本忠長さんのおぼろ月夜の館。いろいろな様式のが組み合わさったような意匠が楽しい。人類主義的。 http://t.co/5RfsjluV
屋根ね鉄骨トラスも格好いい。おぼろ月夜の館。 http://t.co/K9gZdj5O
長野北部も米どころ。谷あいのコンタのような棚田。 http://t.co/GiYkVBM7
飯山の秘湖、北竜湖。ハート型をしているため恋愛成就するとか。 http://t.co/fZHR6vDT
北竜湖資料館。L字平面の茅葺。すごいオススメ。 http://t.co/6Vhy2yHk
大きな囲炉裏とロフト的な二階。北竜湖資料館。 http://t.co/AoRcyjF6
長野は本当に自然が美しい。自然と人が本当にうまくやってる感じがする。長野出身の建築家が多いのが分かる気がする。 http://t.co/BzuK9dTg
小布施栗の小径。外構と舗装がとにかく洗練されている。 http://t.co/8CoOL0u4
小布施。洗練され過ぎてて何か変。公共じゃなく民間がものすごい力を持っている感じ。 http://t.co/KLmEqZzh
お酒と栗菓子の店の周りがとにかく洗練されてる小布施。中庭を広場のように積極的に開放していて、どこか日本じゃないみたい。 http://t.co/J65wJykl
生憎休館日でしたが古谷さんの図書館も見ました。北京の空港のよう。 http://t.co/9XqYoPQC
標高差1200mの菅平を上がる。ラガーマンがうようよ。夏はラグビー、冬はスキー。うまくやってる。 http://t.co/3cDPN5aG

妻有アートトリエンナーレ

妻有本当によかった。豊かな自然を活かしたアートが点在して 地元のおじいちゃんたちが楽しそうに説明してくれて、都心からそれを見に若い人たちが集まって。考え得る最良の日本の未来じゃないかな。
ペローのバタフライパビリオン。オブジェとしては文句つけたいが、現象はとてもよかった。風景を全身で感じられるhttp://t.co/FR6JT7Nc
みかんぐみのタワー。周辺に茅葺がないので若干掘り起こした感じがするけど、アルミサッシ?がはまってるあたりが接続を感じるhttp://t.co/tADIz3wc
レインボーハット@ナカゴグリーンパーク 木の枝でできたドーム。プリズムで生み出す虹もよかったhttp://t.co/TxIbI0fS
タレル。アートより雪国の住宅として最高に気持ちいい。http://t.co/dznbWHWW
アスファルトスポット。地面が水平じゃないだけで楽しいのは普遍的な強度。アクティビティがあるとなお楽しい http://t.co/F3UXZNwt
キナーレ。ボルタンスキーもよかったけど原さんの洗練されたクラシックがすごいよかった。地域性を唄えばいいと思ってる偏りにガツンとくる普遍性の良さhttp://t.co/xpfPbDRn
家の記憶。蜘蛛の巣のように張られた糸が記憶を絡めとるように民家を覆いつくしている。http://t.co/QEzRYor7
船の家by塚本研。ロマネスク教会のようなクラシックさと小屋のようなプリミティブさ。さらに客観視すると人類主義とでも呼ぶに相応しい愛らしさhttp://t.co/TIGPY5zH
木ずり状態の壁からはいってくる光がきれい。http://t.co/UNNV63qQ